Reconsideration of the History
78.日本型システムの模倣〜コリアを覆う「日本の影」(2000.9.22)

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後、事ある毎に、「日帝三十六年」・「過去の植民地支配」等の恨(うら)み節で、日本を糾弾し続けてきた韓国・北朝鮮両国(以下、「コリア両国」と略)。まあ、確かに日本は、李氏朝鮮 ── 大韓帝国を「日韓併合」の名の下に吸収合併し、独立を奪いましたから(実際には支那の属国だったので、「独立」を奪ったと言うのには語弊があるが)、その意味においては、日本を恨む理由も分からない訳ではありません。しかし、繰り返し繰り返し、日本への恨み節を言い続けてきたコリア両国を注意深く眺めてみると、本当に日本を恨んでいるのか? 本当に日本を忌み嫌っているのか? と思える点がある事に気付かされます。更に言えば、コリア両国は、その建国から現在に至る迄、一貫して「日本の影」に覆われている事に気付かされます。と言う訳で今回は、コリア両国を覆う「日本の影」を通して、コリア両国の深層心理に迫ってみたいと思います。

リア両国を覆う「日本の影」。それでは、お隣、韓国から眺めてみる事にしましょう。まずは、文化面から。韓国は、その建国以来、つい最近まで「日本文化」は禁忌(タブー)でした。日本の書籍(雑誌・マンガ等)はダメ、日本のテレビ・映画(上映・ビデオレンタル)はダメ、日本の音楽(カセットテープ・CD・コンサート)も当然、ダメ・・・と言う事になっていました。「なっていた」と言うのは、政府の公式方針、つまり「建前」の上ではダメだったと言う事です。韓国政府は、自国の文化保護の名の下に、名指し(「日本」の名)こそ避けてはいたものの、事実上の「日本文化」排除をしてきました。しかし、実際には、ソウル等の大都市では公然と、日本の書籍・ビデオ・CD等 ── 「日本文化」が市場に流通していました。更に、日本のアイドルのポスターが壁を飾る「日本語喫茶」には若者達が集い、日本の最新音楽に耳を傾けながら、「日本語」での会話を楽しむ、と言った光景さえ見受けられる事となったのです。事ここに至り、金大中(キム・デジュン)大統領も、有名無実化していた「日本文化」排除の方針を転換、遂に「日本文化」が公式に解禁されたのです。

二に、韓国の経済面。韓国では、朴正煕(パク・チョンヒ)大統領時代に、「漢江(ハンガン)の奇跡」と呼ばれる高度経済成長を遂げ、今日の韓国の礎(いしずえ)を築きました。この時期、朴大統領が採った政策は、かつて、朝鮮総督府が採ったのと同じ政策 ── 「開発独裁」でした。これは、現在の日本でも見受けられるもので、要は「土木偏重」と呼ばれる公共事業重視政策です。昭和40(1965)年の日韓基本条約調印に伴い、日本から提供された莫大な資金を元手に、次々と公共事業を興し、インフラ整備を通して国内産業の振興発展と経済の活性化を促したのです。又、日本同様に、現代(ヒュンダイ)・大宇(デウ)・起亜(キア)等の財閥も「国策」の一環として形成されました。更には、自動車・半導体産業等、日本の「お家芸」と同じ分野での国際市場進出をも企図されたのです。

三に、韓国の政治面。建国以来、李承晩(イ・スンマン)朴正煕等の大統領に代表される独裁政治が続いてきた韓国において、初めて直接選挙によって選出された文民大統領・金泳三(キム・ヨンサム)。この大統領は、自らの政権与党として「民自党」(民主自由党)を結成しました。民自党 ── その名称は日本の「自民党」(自由民主党)とそっくりでしたが、名称のみならず、その内実までもそっくりでした。つまり韓国は、文化・経済両面のみならず、政治面においても、戦後日本を「模倣」してきたと言えます。それでは次に目を、北朝鮮に転じてみる事にしましょう。

「地上の楽園」 ── かつて日本の左翼・進歩的文化人・反日日本人達が、そう呼んで賛美した軍事独裁国家・北朝鮮。日本に対して「大浦洞」(テポトン)ミサイルを試射し、戦後一貫して、敵対姿勢を続けてきた不倶戴天の天敵とも言える北朝鮮。「主体(チュチェ)思想」による独自の社会主義路線と、朝鮮労働党による一党独裁体制を堅持し、遂には、金日成(キム・イルソン)・金正日(キム・ジョンイル)父子を神格化した北朝鮮。どこを採っても、日本との共通点が何一つ見受けられない様に思われますが、実は北朝鮮も、韓国同様、日本を「模倣」していたのです。どこが日本の「模倣」なのか? それは、北朝鮮の最高指導者であった金日成(国家主席)と、その子息で現在の最高指導者・金正日(国防委員会委員長)の「神格化」に見て取れます。金父子の「神格化」。ズバリ言えば、金父子は、戦前 ── 大日本帝国において「神聖ニシテ侵スヘカラス」と神格化されていた昭和天皇(国家元首・軍最高司令官)を「模倣」し、自らも「現人神」(あらひとがみ)たろうとしたのです。そして、国家体制も表向きは「社会主義」と言いながら、実際には、戦時統制体制下にあったかつての大日本帝国を「模倣」したのです。つまり、北朝鮮とは、大日本帝国のある一面を「模倣」し、デフォルメ(誇張)する事で出来上がった国家だったのです。でなければ、「社会主義」と言いながら、親子で権力を世襲継承する等、到底、あり得なかった事でしょう。

「可愛さ余って憎さ百倍」と言う言葉があります。好きで好きで堪らない。だからこそ、その反動で、憎悪も並々ならないものとなる。これこそ、日本を糾弾し続けてきたコリア両国の「本心」ではなかったでしょうか? かたや、戦後日本を「模倣」し、「経済大国」・「政治大国」を目指した韓国。かたや、大日本帝国を「模倣」し、「軍事大国」を目指した北朝鮮。それぞれ違った道を歩んできた双子の国家 ── コリア両国は、日本を愛し(片思い)日本に憧れていたからこそ、その建国から、日本を「模倣」してきたのです。しかし、支那を「父」とし、日本を「弟」と見なしてきた歴史観から、コリアは「日韓併合」によって、「反日」と言う近親憎悪感を抱くに至り、「好きなのに嫌い」と言う複雑な民族感情を醸成していったのではないでしょうか。


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