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ゴローニン事件 (1811)

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化8(1811)年、世界周航の途上、国後(くなしり)島測量の為に南下したロシア軍艦ディアナ号艦長のゴローニン(Vasilii Mikhailovich Golovnin)海軍中将が、幕吏によって捕らえられ、松前に抑留された事件。文化4(1807)年、ロシア船が択捉(えとろふ)島を襲撃した事件が契機となり、日本はロシアへの海防を強化する等神経質となった。この様な情勢の中、ディアナ号が国後島に現れた為、日本側はロシアによる東蝦夷地への侵攻と取り、ディアナ号を拿捕し、艦長だったゴローニン中将を抑留した。その後、この事件への対抗措置としてロシア側も、文化9(1812)年、国後島沖を航行中だった日本船・観世丸を拿捕し、豪商・高田屋嘉兵衛等をカムチャツカに抑留した。しかし、高田屋嘉兵衛の尽力により、文化10(1813)年、高田屋嘉兵衛との交換で解放され、ロシアに帰国した。又、この事件については、『日本幽囚記』(ゴローニン著)として世界各国語に翻訳された。


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