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周 恩来 Zhōu Ēn-lai 1898-1976

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周恩来 那の革命指導者・政治家。中華人民共和国国務院総理(在任 1949-1976)。字(あざな)は少山・伍豪。江蘇省淮安県の出身。日・仏・独への留学経験を持つ。南開大学在学中、五・四運動が起こり、彼も天津での運動を指導。パリ留学中に中国共産党に入党し、同党フランス支部を組織した。1924(大正13)年帰国し、黄埔軍官学校政治部主任となる(1926年解任)。1927(昭和2)年、北伐軍に呼応し上海労働者のストライキを組織し、国共分裂後は、南昌蜂起に参加。1936(昭和11)年、西安事件の際には、党代表として蒋介石の釈放と国共合作に尽力。「支那事変」(日華事変・日中戦争)中は、党を代表して、戦時首都である武漢、ついで重慶に駐在。戦後の1946年、国共内戦が勃発する迄、国共間の交渉折衝役を務めた。1949(昭和24)年、「中華人民共和国」が成立すると、国家主席である毛沢東の下で、その右腕として、国務院総理(首相)兼外交部長(外相)に就任、数々の国際会議にも出席した。1958(昭和33)年、外交部長辞任後も、国務院総理として文化大革命において指導的立場に立ち、1972(昭和47)年2月には、アメリカのニクソン大統領と、同年9月には田中角栄・首相と会談する等、毛沢東亡き後の実質的な最高指導者として辣腕を振るった。


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