Reconsideration of the History
80."Tokugawa Japan" ── 世界が賞賛した「平和国家」江戸日本(2000.10.22)

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戸時代。慶長8(1603)年の「江戸開府」(徳川家康の将軍就任・幕府創設)から、慶応3(1867)年の「大政奉還」に至る、徳川将軍15代265年間に及んだ時代です。この江戸時代について、皆さんが連想するものは? と聞かれたら、一体何と答えるでしょうか? 水戸黄門・大岡越前・暴れん坊将軍・桃太郎侍・・・うーん、ちょっと、テレビ時代劇(以下、単に「時代劇」と略)の見過ぎですね。切り捨て御免・辻斬り・ご禁制の阿片(アヘン)・・・益々、時代劇の見過ぎですね。確かに、時代劇には、よく「江戸時代」が取り上げられますし、お茶の間でも結構人気の高いドラマのジャンルだとは思います。しかし、こう言った時代劇に登場する「江戸時代」は、およそ現実の歴史からはかけ離れている事も、ままあります。と言う訳で今回は、時代劇の「江戸時代」と実際の「江戸時代」を比較検証してみたいと思います。

ずは、犯罪から。よく時代劇では、毎日の様に、どこかで殺人事件が起き、その度に同心やら岡っ引きが町中を飛び回っていますが、あれは「ウソ」です。当時も確かに犯罪はありました。しかし、犯罪の多くが今で言う所の「軽犯罪」であって、殺人・放火と言った「凶悪犯罪」は殊の外、少数でした。ですから、たまにどこかで殺人事件でも起きようものなら、瓦版(かわらばん:現代の新聞・週刊誌に相当)が大上段な記事を載せ、それを読んだ町人達は、その噂で持ちきりだったそうです。今なら、さしずめ、世間を震撼させる様な大事件をテレビのワイドショーが大々的に取り上げる、と言った所でしょうか。つまり、それ程、殺人事件等の「凶悪犯罪」が少なかったと言う事です。ですから、仮にタイムマシンが存在し、江戸時代の人間を現代に連れて来たとしたら、その人は自分の住んでいた江戸時代よりも現代の方が、余程恐ろしい社会に思えるでしょう。それ程迄に、江戸時代(幕末動乱以前)とは人々にとって「平和」な時代だったのです。しかし、何故、「凶悪犯罪」が少なかったのか? それは、現代の様に犯罪者を社会から「隔離」しなかったからです。例えば、凶悪犯罪の犯罪者が「死刑」に処せられるとします。現代では、刑務所の中で「ひっそり」と刑が執行されますが、当時は、市中引き回し(町人に犯罪者の顔を晒(さら)して回る事)の上、刑場で公開処刑されたりしました。つまり、町人は処刑を実際に目にする事が出来た訳です。まあ、現代の人権擁護派からは「残酷過ぎる」・「人権無視」等と言う意見が出るのでしょうが、当時は、「こんな凶悪犯罪を犯すと、あんな風にされるんだよ」と言った意識を処刑を目にした町人達は抱く訳で、凶悪犯罪の「抑止」効果としては、最も有効だった訳です。

、時代劇に出てくる「ご禁制の阿片」も「ウソ」です。当時の日本人で、阿片 ── 麻薬等を吸引する様な人間は、誰一人としていませんでした。現代は、麻薬の密輸売買で、莫大な利益を上げようとする不埒(ふらち)者や、その麻薬に手を染めて中毒にかかる人間も後を絶ちません。しかし、当時、麻薬は「嗜好品」として認知されていませんでしたし、大枚(大金)をはたいて、そんな訳の分からない物を買おう等と言う日本人もいませんでした。ですから、時代劇の様に、長崎奉行が、シナ辺りから「ご禁制の阿片」を密輸して莫大な利益を上げる、等と言った事は到底あり得ない訳です。何故なら、日本国内に阿片を求める需要も無ければ、市場(マーケット)も無かったのですから・・・。

に、切り捨て御免について。「特権」として、当時、武士が「名字帯刀」(名字を名乗る事と、刀を持つ事)を許されていたご時世です。そして、武士が町人や農民を「無礼討ち」 ── つまりは、「切り捨て御免」する事も許されていました。しかし、「無礼討ち」と言う以上、相手が明らかに無礼を働いた事が前提でした。もし、何の理由も無いまま、相手を切り捨てたりすれば、それは単に犯罪としての「辻斬り」と言う事になります。しかし、江戸時代前期こそ罷(まか)り通った「切り捨て御免」も、後期ともなるとほとんど「絶滅」します。何故、「絶滅」したかと言うと、「無礼討ち」に及んだ武士もただでは済まなくなったからです。どう済まなくなったかと言うと、「無礼討ち」をすれば、最悪の場合、切腹(自害)しなくてはならなかったからです。つまり、相手が例え町人であろうと、刀を抜いて斬りつける時は、命を捨てる(切腹する)覚悟が必要だったと言う事です。もっとも中には、刀が「真剣」(正真正銘の日本刀)では無く、「竹光」(刃が竹で出来ている偽物の刀)だったので、抜くに抜けなかったと言う事もあったでしょうが・・・。

後に、「平和国家」としての江戸日本について。江戸時代は、「幕藩体制」と言う封建社会と、「鎖国」に代表される外部との交流を拒絶した閉鎖社会として、以前から、マイナス・イメージで捉えられてきました。確かに、「士農工商」(武士・農民・工人・商人)からなる階級制度や、海外との自由貿易の禁止等、マイナス面があったのも確かです。しかし、その「江戸時代」が、海外では「Tokugawa Japan」(トクガワ・ジャパン:徳川幕府治下の日本)として高く評価されている事も事実です。何故、高く評価されているのかと言うと、第一に、犯罪の少なさ(前述の通り)・第二に、清潔に保たれた都市環境(昔のパリやロンドンは、町中、排泄物・汚物だらけ!!)・第三に、勤勉実直で道徳心に富む国民(これは、戦国末期や幕末期に来日した外国人が指摘している)、そして、「平和国家」として、江戸日本に「実績」があったからなのです。この「平和国家」としての日本は、「Pax Tokugawana」(パックス・トクガワーナ あるいは、Pax Tokugawa パックス・トクガワ:徳川による(日本の)平和)と呼ばれているのですが、これは、元和元(1615)年の「大坂夏の陣」を最後に、幕末に至る迄、実に250年にわたって、これと言った戦乱も無く、幕府が常備軍(国軍)を組織せず、ましてや領土拡張を狙った海外侵略も企てず、ひたすら「泰平の世」(平和)を謳歌してきた事に対する賞賛です。それに対して、隣国・シナ ── 当時の清国は、康煕帝から乾隆帝に至る全盛期に、領土拡張の為の遠征をしていますし、欧米列強諸国も、世界各地に植民地獲得の為に、兵を送っています。そう考えると、日本列島と言う狭い空間の中で、曲がりなりにも自給自足体制を確立し、戦乱とは無縁な社会を維持してきた徳川将軍15代265年間 ── 江戸時代とは、ある意味では、現代以上に平和な時代だった共言えます。


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